たった一歩を踏み出したことで開かれていく素敵な未来
こんにちは、こんばんは!
現在、デザイナー・作家として活動している『ひらつかかつじ』です。
私がフリーランスになってもう少しで丸2年になります。
会社員だった頃を思い出すと、本当に環境がガラっと変わったなぁと思います。
自分自身も会社員だった頃に比べて、大きく成長できたと実感しています。
会社や組織に属していると甘えてしまう部分がありますし、もしなにかあっても会社が守ってくれたり、安定した給料も手に入ります。
魅力的に感じる部分もある会社員ですが、それを手放すのはもちろん自分の中で葛藤がありました。
でも、今では『フリーランス』になって人生が面白い方向に好転したなぁと感じています。
会社員としての毎日:1社目
一番最初に勤務したデザイン会社では月曜日〜金曜日まで朝10時〜ほぼ毎日22時〜終電まで働き、土日祝日はたまに出勤、朝まで働くなんてことも度々ありました。
呼吸もしているかわからないくらい忙しくて大変でしたが、早く成長しなきゃ!と頑張る毎日を過ごしていました。
定時で帰れない状態が続くと、これはいわゆる『ブラック企業』なんじゃないか?と思うこともありましたが、「他の会社もみんな大変だから」「俺の前の会社はもっと大変だったよ」という言葉で、初めて就職する会社だったこともあり「そういうものなのか…」と納得していました。
それから数年後の30歳になる頃、付き合っていた彼女と10年が経ち(長い…笑)、結婚や子どもなんてことも話すようになりました。
心の中で「この状況じゃ難しいだろうな、どうしようか…」と悩み始め、ストレスで毎日胃薬を飲み出勤するようになりました。
心も体も限界を迎えた私は密かに転職サイトに登録し、病院に行くと偽りとりあえず試しに1社だけ面接を受けてみることにしました。
するとなんと見事に採用となり、新しい会社に就職することになったのです。
今思えば本当に過酷な会社員生活でしたが、デザインの基礎、考え方がフリーランスとなった今の自分に役立っています。
これも貴重な経験でした。
会社員としての毎日:2社目
次の会社は住宅設備メーカーのインハウスデザイナーとしての勤務です。
ちなみに『インハウスデザイナー』とは、制作会社ではなく、事業会社で働くデザイナーのこと。
2社目の会社は、月曜日から金曜日まで9時から17時まで勤務、土日祝は基本的に休みです。
お昼ご飯もきちんと取れるし、とても良い部署に恵まれ仕事が評価され、どんどん役職が上がっていきました。
数百人規模の企業でしたが、いつしか社長や副社長も出席する大事な会議でも、プレゼンをするようなポジションになっていました。
数年後、収入面では特に不満はありませんでしたが、同じような毎日に違和感を持つようになります。
頑張って働いても、頑張らないで働いても収入の変動はない。
責任を取りたくないから、波風を立てず仕事をする。
困っている部署があっても、自分達の部署の仕事じゃないからと関わらない。
ヘマをして地方に転勤になったらという不安感。
社長の鶴の一声でひっくり返るという謎の全体魔法。
定期的に鳴り響く複数の電話の呼び出し音。
パンデミックでも関係ない毎日の満員電車。
5日耐えて2日休むという生活リズム。
明日にならないでと祈る日曜の夜。
もしかしたら会社という組織に属している方の多くは、そんなことは当たり前の光景なのかもしれません。
子どもが生まれてから、ぬるま湯に浸かり頑張らなくなった自分がとても嫌になりました。
そんな毎日の『嫌だなぁ、嫌だなぁ…』というネガティブな感情がどんどん積み重なり、また胃薬を飲んで出勤するようになりました。
そんな日常の中、学生時代に作った絵本『ばななたろう』をまだ幼い自分の子どもに読み聞かせていると、突然自分も絵本の主人公『ばななたろう』のように特別な存在なのでは?と根拠のない謎の自信が湧いてきたのです。
家族がいるので安定した収入は必要でしたが、思い切って『フリーランス』になることを決意しました。
もちろん食べていける根拠も保証も何もありません。
「なんとかなる、ダメだったらまた就職すればいい」と自分を信じた決断でした。
フリーランスに転身
今は何でもネットの記事やYoutubeに載っている時代です。
会社を辞める前に個人事業主の始め方、契約書の作り方、ホームページの作り方、会計ソフトの使い方などフリーランスに必要な情報は毎日勉強しました。
子どもの頃の『勉強』はとても苦手なものでしたが、大人になってからの『勉強』はとても楽しく感じるのです。
さ〜て、フリーランスになったけど仕事はどうやって獲得するのか…。
数週間ホームページ作りをしていると、大学時代の友人、前の会社(同じ2社目の会社)を転職した友人、先輩からお仕事のお話が来るようになりました。
ですが、一時的には収入は得られたものの、翌月の収入は少なく稼ぎ続けることの大変さを知ることになりました。
収入は少ないが、時間だけができるというのんびりした生活をしていると次第に『絵本』に興味を持ち始め、昔自分が描いていた『ばななたろう』をアートイベント『デザインフェスタ』で販売してみようと考えました。
デザインフェスタ当日は何もかもが初めてだらけで、不安でいっぱいでした。
開場前に初めてブースに来て話しかけてくれたのが『おひげのポン』の作者『かなざわ まこと』さんで、「ばななたろうくん、かわいいね!」と言ってくれたことで、少し緊張がほぐれたのを覚えています。
かなざわさんは、今でも尊敬する大先輩…というかもう大先生ですね。
デザインフェスタが始まるとお客さんに絵本を買っていただいたり、グッズも少し売れました。
面白い!かわいい!そんな声をかけていただき、「自分の作ったもので喜んでくれている!」と実は心の中でガッツポーツをしていました。
デザイナーとしてクライアントの制作物を作って感謝してもらえる喜びと、自分がすべて考えて作ったもので笑顔になってもらえる喜びの違いをデザインフェスタに出展したことで初めて知ったのです。
実はお客さんとして絵本を初めて買ってくれたのが、イラストレーター・アニメーターの『さとうまりえ』さんでした。
この時はまだ初対面でしたが、サンプルの絵本を全ページ立ち読みをして「えっ…!」と驚いて買ってくれたのを覚えています。
デザインフェスタが終了し、しばらく経つと絵本を買ってくれた『さとうまりえ』さんから連絡がありました。
なんと「ミートパイ屋さんで個展やりませんか?」というお誘いでした。
「個展なんてやったことないけど…」なんて思いながらも、勇気を振り絞って初個展をやってみることに。
個展が始まるとお世話になった専門学校の先生、学生時代の友人、前の会社の先輩など数年会ってなかった知り合いが来てくれました。
自分のためにわざわざ来てくれるなんて、本当に幸せ者ですよね…。
個展が終了しまたしばらくすると個展に来てくれた友人から、某テレビ局のイラストの仕事があるけどやらない?という連絡がきました。
もちろん引き受けることを伝え、数週間…。
なんと残念なことに他の方が担当することになったと連絡があり、まさかの失注。
期待していた部分が大きかったため、悲しみに暮れていました。。
悲しみに暮れている日々から数日後、今度は最初に就職したデザイン会社に勤めていた先輩から連絡がありました。
先輩はすでに転職していましたが、知り合いの会社の方がフリーランスのデザイナーを探しているという連絡でした。
ここからまた状況が好転していき、今に至ります。
まとめ
突然ですがみなさんは奇跡って信じますか?
私は信じています。
なぜか今は奇跡というよりも、うまくいくということが決まっているように感じています。
私の10年くらいの体験談を綴りましたが、今でも奇跡的なことがたくさん起こっています。
実はこの奇跡的な体験には共通点があるんです。
それは自分が『一歩踏み出した』ということです。
就職→転職→フリーランス→デザフェス→個展→求めていた仕事
これらを通過するポイントには『一歩踏み出した』ということが関わっています。
偉そうに伝えられる立場ではありませんが、どの場面でも『たったを一歩踏み出した』ことで状況が変わったということは事実なのかなと思っています。
宝くじを買ってもいないのに、「宝くじ、当たれ!」と願っても宝くじは当たりません。
(でも、人からもらった1枚の宝くじが当たったという奇跡はあるかも…笑)
まずは『宝くじを買う』というアクションが必要になりますよね?
今の状況を変えたいなら、まず一歩だけもいいから動いてみる。
するとその先には自分の求める素敵な未来があるかもしれません。
一歩進むには『自分自身を信じてあげる』『自分の未来を信じてあげる』ことが大切です。
あなたの決断をあなた自身が信じてあげてくださいね。
埼玉県在住、1988年生まれ。
デザイン制作会社でグラフィックデザイナー、メーカーでのインハウスデザイナーの経験を経て、フリーランスへ転身。
デザイナーとして活動しつつ、オリジナルキャラクター「ばななたろう」の作家としても活動中。